第2部です。
「さて、30日に現地入りし腐った海産物の収拾作業を行ったこと、ワーキンググループが立ち上がったことまでを前回は書きました。
1日からの動きについて書きます。
1日には早速サンマ隊の作業班長を務めることとなりました。
バスの中で諸注意を述べ、現地についてから作業員を指揮して怪我の防止に努めました。
班長を務めて分かったことは、そもそも班長を初めてやる場合、何をやればいいのかわからないということ。バスの中で諸注意をアナウンスしたのも、完全な自己判断でした。
班長になるメンバーの行動指針が無い、また情報共有もされていない問題が浮き彫りになりました。
そこで、1日夜のサンマ会議で班長マニュアルを作成することを提案し、賛同者と2人で作成。
そして翌日2日も、私はサンマ隊に参加しました。
この日の作業はあいにく、瓦礫のトタンが飛ぶほどの強風で、危険のため作業は中止になりました。
夜の会議では、マニュアルに対するフィードバックを受けた為
意見者と共に6人チームでマニュアルの改訂と電子化を行いました。
また、次の班長候補を前日の作業のうちに見つけて育てる制度も作られました。
こうして、サンマ隊の組織としての形が整ってきました。
その翌日には、早朝出発隊プロジェクトも無事実り、後発隊と時間帯をずらして作業することにより、小回りが利くより効率的な作業が可能になりました。
私がいた数日の間にサンマ隊は日に日に組織化が進み、体制が整いました。
しかし、聞けば、私が来るよりもっと前、一番最初の段階では、
ボランティアは遠野の福祉センターでただ要望が来るのを待って、来たら行くという状況だったそうです。
それを、様々な人が少しずつ改善し、要望を取りまとめ送り込む人数とメンバーを決定したり
メンバーを率いる隊長を決めたり、隊長の下で10人規模を見る班長を決めたり、と組織が出来上がってきました。
ボランティアを後方支援する内務のチームも、
業務効率化の為の業務マニュアルの作成や
宿泊環境の改善施策としての、様々なルール決めや用具設置などをこのGWで行ってきました。
また、遠野市やまごころネット側の協力で、ボランティア用電子レンジや充電器、シャワーの設置など環境改善もなされてきました。
ちょうど私は、遠野の沿岸部復興支援の組織が出来上がっていく最中に
その一部に携わることが出来たわけです。
今後もボランティア活動は長期に亘って必要になるでしょう。
それだけの量の瓦礫が、汚泥が、腐乱した魚が、現地には転がっています。
政府は瓦礫の撤去には3年かかると見積もっています。」

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