小泉聡

友人の視点を

2011/05/25 15:19

みなかみ、四国と2週間の怒涛の激流合宿無事に終了しました。
今日の午前中のミーティングでも、レースから得た課題を皆で確認しました。
課題が出るということは、もっと強くなれるということだと思います。
利根川、吉野川に感謝です。
話は変わりますが、
私と大学時代にラフティングで日本一を目指した友人が東北の被災地に実際に行って復興活動に携わってきました。
彼が見た実態、感想をまとめてくれたものがあります。
このテイケイのブログを通して、多くの人に知ってもらいたいと私から頼んだところ、快く承諾してくれました。
文章が長いので、3部に分けて載せたいと思います。
「4/29~5/4まで、岩手県の遠野に行っていました。
まず、私が参加した、遠野まごころネットについて概要を書きたいと思います。
遠野まごころネットは
遠野市社会福祉協議会と、複数のNPO団体などが母体となって作られた組織です。
http://www25.atpages.jp/tonomagokoro/
遠野は内陸のため、大きな被害は受けておらず
さらに、宮古、山田町、大槌町、大船渡市、陸前高田市など、沿岸の各市町村への距離が
1時間程度という立地を活かし、ボランティア派遣の中心地となりつつあります。
個人ボランティアを受け入れている自治体が少ない中、この自治体では
個人ボランティアを受け入れていた為、参加しました。
現地での主なボランティア活動は
・冷凍倉庫から流失した海産物(サンマ、鮭、いくら)の収集作業(陸前高田市)
・被災家屋の泥だし(大槌町)
・物資集積所での物資仕分けと被災者への配布(遠野市内)
・避難所の炊事洗濯の代行
・足湯サービスの提供
・被災地の学校グラウンドの清掃
・被災者のニーズ調査
など。
他に、ボランティアを後方支援する内務作業があり、ボランティア宿泊所の環境改善や
受付案内などの事務業務、広報物作成などがありました。
このうち、私は募集人員が一番多い、海産物の収集作業に4日間従事していました。
現地入りしたのは29日ですが、翌30日から、ボランティア活動への参加を始めました。
初日の30日は、一度に多くの人間が殺到し、大混乱でした。
前日の29日が80人、前々日はもっと人数が少なかったそうですが、この日は300人を超えるボランティアが集まったとのこと。
海産物の収拾の隊を、我々はサンマ隊と呼んでいましたが、30日はそのサンマ隊に200人以上が参加しました。作業自体は、腐ったサンマ、鮭、いくらをひたすら拾い集めて集積地まで運ぶという単純なものです。
朝の受付時から大混乱で、現地に行ってからも、整列や点呼に時間がとられ
実際の作業時間は2時間半ほどでした。
30日時点では、実際に活動がスタートしてから1ヶ月も経っていない状態であり
体制も十分ではありませんでした。
事務局はバスの手配など外部との折衝や、ボランティアのマネジメントで手一杯であり、個人ボランティア自身が、自分たちで内務の事務作業から、現地作業の統率まで、行う必要がありました。
そこへ大量のボランティアが押し寄せたものですから、大混乱に至ってしまったわけであります。
ボランティア全体ミーティングや、世話役や隊長というボランティア内の旗振り役は存在しておりましたが
これは、4月中旬から参加していたボランティアの方が、提案を行って作ったもので
ちょうど組織が出来上がっていく最中に、私は遠野に飛び込んだ状態でした。
特に、29日~30日時点では、隊長の指揮の下、現場で参加者を10~15人程度の単位で纏めて監督する作業班長が圧倒的に不足しており、また誰を班長に任命するかも定まっていない状態でした。数日で帰らざるを得ないボランティアが殆どですから、長く経験を持ち他の参加者を指導できるボランティアは希少でした。
その現状を解決する為、30日夜には早速ワーキンググループが立ち上がり、サンマ隊の作業班長経験者を集めてサンマ隊独自の会議がスタート。
同時に、広く声を集めるための参加者アンケートの収拾や、早朝から作業するための別働隊の編成プロジェクトが立ち上がりました。
私は30日の夜から、会議に参加し、参加者アンケートの作成を行いました。」

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