「死ぬ気で」

こんにちは、本田です。

アスリートに限らずかもしれませんが、特にそうした人たちはしばしば「死ぬ気で」とか「死に物狂いで」と言ったような、程度を表すある種の比喩として、「死」を持ち出すことがあります。

もちろん、実際死ぬ時の気持ちがどのようなものかは、その時になってみなければわからないわけですが、これ以上ない限界の地点として、類比的にそうした言い方を好むのだと思います。

常に限界に挑み、それを越えようとする気概の表れですね。

いわゆる「死ぬ気で」の「死」は単なるレトリックとしての「死」なわけですが、個人的には、レトリックとしてではない「死」をそこに見出したい気持ちも湧いたりします。それが修飾的な表現である以上、そこに限界とその超越はないと思うからです。

このような考え方は、もしかすると、「死」を舐めてる態度の表れ、すなわち「死」についての無知から来るものであるかもしれません…ですが勇気を持って続けたいと思います。

どうすれば実際に「死ぬ気」つまり、「本当に死ぬかもしれない」ぐらいの気持ちを練習中に引き出すことができるのか、考えたことがあります。その結果、参考にしようと思ったのは動物たちの死に様です。

彼らがその死地にあって何を想うか、そもそも何かを想うのかさえ、皆目見当もつきませんが、人間お得意の感情移入と想像力をもってして、そこら辺を補いつつ、その壮絶な「死」を追体験した気になろうというわけです。

僕が心打たれたのはコウテイペンギンの子育てです。

もったいぶって話すような内容でもないのですが、予定より長くなりそうなのと、時間があまりないので、続きはまた来週に書こうと思います。

来週は、コウテイペンギン、その壮絶な子育てから「死ぬ気」について考える、です。

では。

本田

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